デゼニランドは今は無きハドソンがファミコン参入前にパソコンに発売した初アドベンチャーゲームです。当時のパソコンマニアにはもちろんパソコンを持たないゲーマーにもその名前は知れ渡っていたと思います。発売が主要機種で1983年9月ということですのでファミコンよりは後輩になりますが...今なお思うちょっとしたお話をしたいと思います。
アドベンチャーもBASICからマシン語の時代へ
●かつてない100画面構成
●完全マシン語超高速処理
●おもわずのめりこむストーリー
とセールスポイントが記載されています。
練り込まれたストーリー
東京ディズニーランドが出来たのは1983年。
ディズニー>デゼニ?など想像に難くはないですが、当時パソコンを持つ仲間うちで学校ではデゼニランドについては声を大きくして話さなかった。ゲームを知らない連中に本場の訛りと思われたくなかったからだと今更ながら思います。
デゼニランドというとこの旗を持つガイコツのシーン。
当時の雑誌に広告用で実際にはこのシーンはないとの某ライターがコメントしていたのを覚えていますが、ちゃんと出てきます。今と異なり、画像整理や撮影も手間のかかる時代でしたからうっかりしていたのだと思います。
初プレイはMSXモノクロバージョン、友人に無理言って貸して貰いました。時期は1985年の晩秋くらいだと思いますが、既にテープ版ゲームには慣れていてハイドライド、ミステリーハウスⅡ、ゴーストバスターズ、黄金の墓、続黄金の墓などそしてサラダの国のトマト姫など次々と手掛けていました。記憶は曖昧なのですが電波新聞社のチャレアベが1985年11月に発売ですからその記事を見ておそらくプレイしたい衝動に駆られたと思います。毎月のベーマガのレスキュー・アドベンチャーゲームに質問が多く来ていたのでその噂も聞いていました。
デゼニランドに入れない との声が続出!某雑誌がメーカー質問窓口のように投稿が殺到!
5章あるパビリオン?での冒険はさぞ面白いだろうという想像をよそにその前の入り口でチケットがないと先に進まないのです。せっかく購入したゲームは面白くともつまらなくてもある程度は先に進み、自分なりの評価ができてそれが雑誌などのランキングに影響を与えますがそれすらできない人が続出。これがゲームを買ったのにそのゲームの面白さがわかるまで時間がかかるというのが当時結果的に斬新でデゼニランドは発売数年経ってもまだザワザワしていた理由でした。
更にMSX版では他機種にはない性能上の欠点も
他機種カラー版ではロッカーの横に空き缶があり、これがゲーム上デゼニランドに入場するためのヒントになっています。しかしMSXモノクロバージョンでは空き缶が見えません。これはMSXの画面モードSCREEN2がそれほど横に表示できないからです。救済措置として別の解決方法(○○○○ LOCKER)がありますが、自分は当時は缶が見えないのに他機種版「○○○○ CAN」とやっていました(LOOKするとCANは見えます)。
またモノクロのため、店に入るためには店識別数字を入れる場面も。苦肉の策だと思いますが、やはりカラー版と比べるとショッキングでした(MSXのSCREEN2では2色しか表示できないため)。このアイテム選択シーンはサラトマでも出てきており、選択次第ではその後詰みになります。さらに選択にはほぼノーヒント(ヒントらしい情報はある)。
知る人ぞ知る、まず常人では突破できない場面。しかしwikiでもあるように6001mkⅡ版以降では比較的容易にヒントが出ることになっています。
5つのパビリオンのどこかに隠されている秘宝「三月磨臼」。
さあ、キミは何日で見つけ出せるかな。